私が高校を卒業した年に深夜ラジオに現れたのが、当時M-1で決勝進出を果たした後、テレビでブレイクしたオードリーだった。 多くのヘビーリスナーは金の卵を見つけた気分だったと思う。
当時のオードリーは、若林さんは「まとも」で、春日さんは「変な人」の立ち位置だった。 コンビの中でも「まとも」だとされている人物の方が狂気染みていると言うのは、結構ラジオのあるあるで、目立たずに常識的なふりをして、相方を諌めている方がヤバいやつだという事を露呈してしまうラジオの恐ろしさと臨場感が番組には常に付きまとう。
ラジオでのオードリーも、全くそのパターンで「マンゴーを花咲カットにした女と別れた」「ストレスはジェンガを組立てて蹴散らすことで発散している」「誕生日を祝う理由が分からず、誕生日に笑顔でいる理由をグーグル先生に聞いてしまう」など、後にサイコパスと言われるエピソードに事欠かなかったのは若林さんの方だった。
そう言う意味では、誰もが「若林さん」に興奮していた。
有吉さん風に言えば「若林さんがバカに見つかった瞬間」だったのだと思う。
そんな中で、春日さんはというと、落ち着いた声でいつも「あぁね」「そうね」と相槌を打ちながら「そんなことないでしょ」と相方の暴言をフォローしていた。
そんなある日、春日さんがラジオの話をし出したことがある。
春日さんは、ラジオの帝王である伊集院光が日本放送にいた頃からのヘビーリスナーで、それは相当な物である。 当時の伊集院さんは、三遊亭楽大と言う落語家で「師匠に許可を取らずに、伊集院光というオペラ歌手と言う別人格でラジオに出ていたら、人気が出てしまった」と言う事情があり、ラジオ媒体以外での露出が極端に少なかった。
そのため、春日さんにとっては長らく「伊集院光」はミステリアスな存在だったそうだ。
伊集院光さんは今なおラジオの帝王と言われている。 私が深夜ラジオを聴き始めた頃から、深夜ラジオのリスナーと言えば、彼のリスナーであることは同意義であっても過言ではないくらいの人気があった。
誰しもが「春日さんの伊集院さんへの熱いほとばしるパトス(俺らと同じ!)が聞ける!」と期 待した。 それが最高潮に達した時、深夜ラジオの帝王へ春日さんが言い放った言葉は
「初めてテレビで見たときに、ちょっとがっかりした」
であった。フォローしながら大笑いする若林さんに対して、春日さんは 「福山雅治さんとかいるじゃん?ラジオとかも面白いしさ。なんかああいうのどこかで想像し てたんだよね。私も若かったですから」 とフォローが成立しているようなしていないような同調をしていた気がするが
「・・・うん、そうだね」
私の胸には納得と共に切なさと、笑いが込み上げてきた。
当の伊集院光さんも「こんな中卒で百貫デブの俺がいうことなんかまともに聞くんじゃねぇ」 というタイプなのだが、話芸の鋭さと緻密な構成・隠れたオチ・言葉の抑揚。あまりにも色々が素晴らしくて、そのカリスマ性が故に伊集院さんは、リスナーにとって声以外の実体がなくなり、あの容貌が頭から完全に消えてしまっている。
たかが見かけ、されど見かけ。
小学生の絵日記に書かれているような言葉で、自身にとっての「伊集院光」が現実の「伊集院光」になった出来事を表現した春日さんは、大分照れているように聞こえた。私は人気パーソナリティであったとしても、帝王の前では誰しもただのリスナーなのだと言う事実が嬉しかった。
ある時、娘のベビーシッターを頼んだ方の写真を見たおーみちが、ZOOMでの顔合わせに参加させろと言ってきたことがある。5分くらい同席したと思ったら、さっさと出て言ってしまったので、 何事かと思ったら、 「仕事はちゃんとやる人だと思うけれど、なんか気になる」 と言いだしたので「人非人だ!」「すごく良さそうな人だった!」と非難したら、実際にお会 いした際に、先生が大玉の勾玉色の数珠(1個がうずらの卵くらいのやつ)を3連で付けてきた ので、一瞬で目の前が手塚治虫先生の火の鳥タッチになってしまい、この話を思い出しまし た。 (先生はすごくいい方でした。娘も大満足でした。)
抱き続けた憧れや勝手な思い込みが細部に及んで、期待を裏切ることはよくあることだ。 そういう自分に気がついて馬鹿馬鹿しくなる時、私は自嘲にも照れにも似た切ない感情が帰来することがあって、そういう業を許してくれる、ラジオを今日も聞いている。
P.S. 「ナインティナインの矢部さんが狼の飼育員になりたかった話」チャンスがあったら聞いて みてください。
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